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こんにちは、栗木ンディです。
最近コンビニでドリンク類を買うことがほとんどなくなっています。
なぜならおいしくないから(笑)
ですが、つい先日、なんとなくココナッツウォーターが飲みたいなと思って買ってみました。
自分的にはとても珍しいセレクトだったのですが、結構おいしく感じて、味覚が変わったのかな、なんて思っていたところ、森のトトロからタイムリーなお知らせが来て、びっくりしつつも「やっぱりそうか…」という気分です。
最近体調がなんだか優れない…という人に、何かヒントになるかもしれませんので、お知らせしておきます。



最近、さまざまな症状が出ている人が増えてきているようです。
そこで、まずは今現在、おきていることを説明していきます。

今年は、「大気汚染による冷え」が何回もありながら、急に暑くなり、一気に夏日となりました。
そのため、体内では、下記の「四つの現象」がおこっています。

<その1>
季節的には、本来はゆっくり関節や手足の筋膜が温まり、すきまが開いてくるはずなのですが、今年は急激な体感温度の上昇で、手足の筋膜が冷えたままで、大変狭いまま、急に夏になりました。
そのため、春から浮いてきた毒素によるむくみで、全身がパンパンになり、夏バテ症状や内臓の圧迫により、急激なミネラル不足となっています。食欲も無くなってしまいます。

<その2>
夏になると体内に溜まっていた毒素が浮いてくるため、毒素への身体の反応で、カリウムが不足して全身(主に筋肉)がつっぱり、だるくなります。

<その3>
カリウムとカルシウムはイオン拮抗しており、どちらかを摂るとどちらかは吸収しづらくなってしまいます。
大気汚染により、カルシウムと似た物質が飛んでいるので、それを吸収してしまうことが多いため、カリウムが足りないのに、吸収しづらくなっていて、カリウムを多く含んだ食べ物を美味しく感じません。
すると、どんどん大気汚染物質を取り込んでしまい、血液がどんどん汚れていき、体が重くなり、汚染による貧血症状が出てきます。
さらに、カリウム不足も改善しないため、筋肉のつっぱりやだるさもそのままになります。

<その4>
ネパールをはじめ、大地震が各地で起こっているため、地震前後の地磁気が非常に多くなっています。これも血液中のイオンの分子のクラスター整列を乱すため、血液中のミネラルが酸化しやすくなり、血流を悪くして濁らせて、だるさや貧血症状が出てきます。


上記の
「四つの現象」の結果、肝臓のうっ血もおこり、全身が苦しいのに、食べ物が吸収しづらくなっているため、なかなか症状が改善しないときいています。


対策をいくつか考えてみましたので、自分の状況を見て試してみてください。

<その1>に対しては、甘いものやクリームで筋肉をやわらげ、すきま材を補給します。海苔もいいです。食欲があるならインドカレーもいいでしょう。
ネットなどで市販の超ミネラル系の、複合ミネラル剤(島西神水など)をとると、美味しく感じる人もいるかもしれません。
食べ物で補給するならナッツ類がミネラル豊富でいいですね。アーモンドやピスタチオ、カシューナッツや黒糖くるみなどもいいですね。

<その2>に対しては、コンビニで売っている「ココナッツウォーター」がおススメです。美味しく感じない人は次の対策を試してみてください。

<その3>の人は、カルシウム不足かもしれないので、ヨーグルトをたくさん食べてから、もう一度「ココナッツウォーター」を試してみて下さい。

<その3>と<その4>の人は、血液を掃除してくれる「酢」と「こしょう」を拮抗させた「ニラ玉スープ」などで、血を掃除しながら血管を治していきましょう。
「酢」と「こしょう」は拮抗しているため、どちらかが多い時は、もう一方を増やせば味が落ち着きます。
つまり、「酢」が多い時は「こしょう」を増やし、「こしょう」が多い時は「酢」を増やせば、酸っぱ過ぎず、辛過ぎない味になります。
このスープが、美味しくないなら、先に<その1〜3>の対策をしてみて下さい。


何もかもダメという状態の人もいるかもしれません。
そんな場合には、カリウムとカルシウムとさらに、体の中心にきくリコピンが同時にとれるシフトとして、
「ブルガリアヨーグルト(加糖タイプ)+トマトジュース」を、たくさんとってみて下さい。
具合の悪い友人がおすすめしてくれたものなのですが、確かに、理にかなっている方法です。
これが必要な人も、けっこういました。

あとは、新月/満月のくる2週間ごとに、夏に向かって、身体のすきまはどんどん拡がっていきますので、必要なところまで、主に手足が温まれば、だんだん楽になってきます。
ミネラル不足のまま、真夏になると、抵抗力も下がって辛くなるので、その場合は「島西神水」などのミネラル剤を、ポカリスエットやグリーンダカラなどに入れて、飲んでおいたほうがいいと思います。

とりあえずの応急対策ですが、少しでも皆さんが楽になるようこれからも研究を重ねていきますね。


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こんにちは、栗木ンディです。
先日ちょっと火傷をしまして、それ自体はたいしたことはなかったのですが、
その数日後に、まったく同じ場所を火傷、また切り傷を負った人に出会いました。
こういう偶然は、やっぱり必然のニオイがしますよね。

でも、その必然の意味がよくわからないーー!
教えて森のトトロー!!
というわけで、トトロが教えてくれたお話をご紹介しますね。




昔風の、ゲンが良いか悪いかという解釈では、以下のようなことも、よく言われます。
ケガが表しているとされるものの中には、見えない力からのツッコミが結構ある、という解釈です。

こんな感じです。

左手や腕のケガは「意識の力で守りすぎ」
右手や腕のケガは「意識の力で攻めすぎ」

という意味があり、それらに対する気付きをうながす、知らせやサインだと言われています。
古い言い伝えや、因果応報を教える時に「俗に言う」感じで言われていたようです。

ケガの位置(深さ)により、ざっとこうも言います。

指は 「表面上の態度」
手首は「意識的」
肘は 「無意識」
肩は 「意識以前の姿勢や習慣」

すると、このような解釈ができます。
両手首を骨折している僕は、意識的な「守りすぎ」も「攻めすぎ」もあると言えます。
左肘と右手人差し指を骨折しているある弟子は、無意識での「守りすぎ」であり、人差し指は表層での「攻めすぎ」つまり責めすぎである「他者を指で指しすぎ」などでしょうか?


これらの言い伝えは、トトロの森で研究してきた
「右半身、左半身のストレス」
とも一致します。

右半身は「抑えるストレス」 「言いたいことを我慢する」などで、
左半身は「気合いで盛り上げるストレス」「疲れていても元気に話す」「他人を元気づける」などや、または数字やノルマのストレスが考えられます。

さらに掘り下げて調べたところ、
右半身はつまり「疑問なのにそのままにして抑える」ストレスであり、
左半身はつまり「自分や他人の気分を無理に上げる」ストレスでした。

そして根本は、
右半身は「過去のための苦しみのストレス」
左半身は「未来のための苦しみのストレス」
ということが言えます。

抑え込むのは、過去の出来事への解釈であり、
無理に元気をだしたり、無理なノルマや数字に挑戦するのは、未来の出来事のため、つまり出世や成績のための態度だからです。

上記のケガの言い伝えでは、
右は「責めすぎ」
左は「守りすぎ」
でしたが、
右で責めてしまうのは過去の出来事であり、
左で守るのは出世や成績や立場なので、
解釈は近いといえます。

さて、あらためて今、トトロの森風にまとめるならば、

右側の緊張やケガは
「なぜ?どうして?許せない過去を、理解して受け入れたい。」という気持ちの表れであり、

左側の緊張やケガは
「元気出して、気合い出して、ノルマ頑張ろう未来のために。」という気持ちの表れです。

そして、どちらも「いわかんなく」やれるようになれば、
身体の緊張や見えない力からのツッコミ(ケガ)もなくなるということです。

過去に対しても、未来に対しても、何かを「やめる」のではなく、
「いわかんなく」上手にやればいいというのが結論でした。

何事も、職人芸になるまで、「しっくり、なっとく、いいかんじ」になるまでやれば、
「いわかんなく」なるということです。

ひとりひとり、同じ状況はないので、
ルールや理論は、他人に説明して安心感を与えるための補助にしかならず、
「しっくり、なっとく、いいかんじ」になるまでやって、
「いわかんなく」なるとよい。くらいの、「体感のめやす」しかないというのが、トトロ式の解釈になりました。

今回は、身体の部位の質問だったので、とりあえず1つの解釈を、深く説明しました。

似たような問題の人が近づくと、無意識での学習効果があがるというので、似た問題をもつ者どおしの交流だったのでは?

この説明だけに、囚われることもなく、そして、何かの、ヒントになったならば、幸いです。




正直に言えば、なんかわかったようなわからないような気分の栗木ンディですが、
きっと誰かの役に立つと思うのでご紹介しました!
期間的なものについても軽く話しておきましょう。
最初に「しっくり」を体験して、
一年ぐらい経つと、だんだん「感じてくる」んです。
それが言葉になるには、最初から見て「3年半」かかります。

丹田、みぞおち、眉間について、もう少し解説しておくと、
「丹田=できる」
「みぞおち=感じる」
「眉間=わかる」
と言いい換えることができます。

最初の一年は師匠から「できている」と言われても、
「感じません、わかりません」と思う人が多いです。
この順番は、世の中では
「わからないと感じられない、感じられないとわからないし、できない」
と思わされていますが、実際には、
「できてからそれを感じることができる、でも言葉にできず説明できない」
が当たり前なんです。

ためしに彫刻家に弟子入りして、
彫刻とはなんたるかを「わからないのできません」と言ってみてください。
一日で破門になるから(笑)。
「オレだって何十年も彫刻をやってなんなのかわからないんだぞ」
って言われて終わりですよね。
わかってからじゃないとやる気が出ないなんて、
軽くて軽くてもう人生鼻息で飛ぶくらい軽いです。

そういうことばかりやっている人が多いんです。
重みがあるものなら、できたとしてもすぐには感じないし、
できて感じたとしても、それが言葉になるのは3年半も後です。
それが何かを覚える時の本当の順番です。
だけど、そういう職人的な順番で教えると
「あの会社はちゃんと説明をしてくれない。
コンプライアンスがダメな新人教育ができないダメな会社だから、
私はできなくていいんだ」
みたいな新入社員が増えたの。
そうして一生、イヤミな三流になっちゃうんですよ。

まあ、本当に新人教育がダメだったり、
試用期間内に、新人の親族に商品や契約を売り付けることだけを考えているような会社も最近多いようなので、
そういう状況は、単に受け入れて努力しても苦しいわけで、非常に難しい社会になってきています。
 自分の縁と運で出会った体験の全てを、味わって次に繋げるしかないです。
「戦争や訴訟や殺し合い」にならない程度の「争いや摩擦」は、学習の機会としつつ、
逃避じゃなく回避して離脱するのがいいでしょう。

 逃避と回避を区別することも大切です。
逃避は目的にたどり着かなくてもいいやと思うこと、回避は目的にたどり着くためにすること、なんですよね、実は。
 わかりやすく例え話をするなら、
「あなたはドライブをして目的地に向かう途中でした。目の前に地割れのような谷が見えてきたので、あなたはアクセルを踏み谷をジャンプして飛び越えました。」
というストーリー、なんか変ですよね。
「あなたは左右どちらかにハンドルを切り、谷を越える橋がかかっているところを見つけて渡り、目的地にさらに向かいました。」の方が自然ですね。
 ところが、橋を探しに迂回したり、一度家に帰って装備を準備しなおしたりすると
「逃げるな、チキン。」と言われるのは日本でも海外でも同じで、
これこそ暗示であり、人を死に追いやる呪縛なんです。
バックトゥーザフューチャー2のラストのネタがこの辺をかすってましたね。
主人公がチキンと言われて行動を変えるシーン。
 無理にジャンプしたとして、半々の確率で跳べたとしても、
半分は落ちても逃げずに格好つけたかっただけで、実は逃避ですよね。
逃げたと罵られても、迂回したり準備しなおした人の方が、目的にたどり着くための回避をしたことになります。
本当に逃げていないのはこっちの方ですね。
 つまり、格好つけて飛ぶ方が半分は逃避で、
格好悪いように見えても迂回する方が、
実は回避しただけで逃避せず目的にたどり着くかもしれないっということは想像できますね。
「チキン」と言われることを怖れて格好つけて無責任な外野に殺されるより、
逃避と回避を区別して生き延びた方がいいですね。

今日の話は終わりとします。長い話を聞いて下さって、本当にありがとうございました~。


これが、弟子になりたいと言う人に、僕が最初に言っちゃうお話です。
整理して言うと、

「一度ゼロになる」
「カッコ悪く覚える」
「知識ではなく自分の体感からの感想で言葉を」


そして、
「自分を統合させるための3原則」
として後半に言っているのが、
「4つの気質」と、
「心の中庭で氷付けの自分の顔を見ると呪いが解けて統合しやすくなる」話。
自分にかけている無意識の縛りのようなものが解けていきます。

そして確認は「自分の体感」「しっくり」「なっとくいく」「いいかんじ」みたいなもので、
「しっくり」を師にするということ。

こういう話を全部先に言っちゃうと、無駄な競争がなくなります。
もちろん必要な競争を否定しているわけではありませんが、
「何回言ったらわかるの?」とか牽制したり、
反発した人をつぶそうとしたりする人って必ず組織にいますよね。
「昨日先生に反発していたあのバカをつぶしておいて
三回言ったらわかるんだって教えておきました」みたいな行動、
そういうのはぼくは徹底的にやめて欲しいのね。
わざわざすごく居辛い場所を作って、
こっちが何倍も生徒に気を使いながら生きていかなくちゃいけないなんて状況イヤですから。
競争して牽制して、どっちが先に覚えるかとか、もう本当にいやなのね。
だから無駄に競争する必要がないように4つの気質を教えてしまうんです。

体感については「自分で判断」すること。
そして恥ずかしい自分は心の中庭に埋まっているからというのは
実は「脅し」なんですよ。
「ちゃんと見えてるからな」っていう脅しです、これも。

そして、テキストを最初から使わないこと、
カッコ悪く質問、疑問、反発していいこと、
「ハイわかりました」を強要するとか、
先輩がこう言ってるんだから後輩は従うしかないとか、
そういうくだらない空気を一切やらせないという縛りを、
頭では覚えていませんが、心にしっかりザックリと最初に言うんです。
(栗木補足:トトロはこの長い話をもちろんテキストにしていません。
ガーッと一気に話してしまうので、聞いている方はぐったりして、もはや頭では理解できません。
これをテキストに起こすのに栗木も何年もかかりました。)

こういう話が通じない人間は、そもそも弟子にしてはいけないんです。
「みだりに師につくな、みだりに弟子をとるな」
という中国の古来の言葉通りです。
だからそういう場合は優しく断らさせて頂きます。

断り方、知りたいですか?今まで何人か断ってます。
例えばアロマテラピーとかリフレクアロマをすでに習っている方で、
これは弟子にしちゃいかんと思った場合、
「もう習っているものがあなたにはあるんだから、それを用いて自分流を作った方がいいですよ」
という話をするわけです。
「教えることはない」という表現をしないように見えるけど
「ないよ」と言うんです。
または全然違うものであると伝えます。
「ちゃんと習っていなかったから、リフレクソロジーを習いたい」というような場合、
うちは全然それとは違うから、リフレクソロジー協会のものをとった方がいいですよ、と。
あとはデコルテとかアロマとかエステで揉んだり、
ハワイのロミロミに興味があるなら、
それをやればあっと言う間に自分の店ができちゃうから、
もうやった方がいいよ、という話をします。ひとつのパターンとしてはね。

あとは「ちゃんと覚えたい」の「ちゃんと」が過ぎる人とか、
もうすでに何か覚えたものがあるのに動けないだけの人とか、
いろんな人がいるわけですよね。
そういう人には「エール」を送ることにしてます(笑)。

でも僕的に弟子にするのはどうかな?と思ったとしても
「ここでこれをやるしか道がない」というケースの人もたまにいるので、
そういう人は残っていきます。他に方法がないんですよね。

そうではなく、自分や家族にもたいした負荷がかかっていないのに、
こんなこと(揉み)をやろうとしたらね、
「ちゃんとしたい」という思いが強くなり過ぎるんです。
ちゃんとだろうがなんだろうが関係ない、
よくなればいいんだ、改善すればいいんだ、
なんでもいいって言う人ならいいんですけどね。

この話は、
「競争とか争いとか牽制とか馬鹿馬鹿しい」って言ってるようなものだから、
普通は話を聞けばやらなくなりますよ。
それでもしそうな人ってのは最初にひっかかるからわかるんです。あやしいって。

普通の場所(教育現場や会社など)ってストレスも多くて苦しいですよね。
人工的にいい環境を作るために、僕は努力を払ったわけです。
最初に「わかってるからな」って脅しておくことでね。
まぁ脅さなくてもいいんですよ、優しく、まるで賢者みたいに話せばいいんですから。

「教育は脅しよ」ってうちのおふくろはよく言ってたなぁ。
「脅し」というのはもちろん言葉の上のジョークでもあります。
ぼくの教育は脅しと癒しだったの。
でも脅さなくちゃいけない時に癒して、癒さなくちゃいけない時に脅しちゃいけないなぁと思います。

なんだか道徳的なことを言ってますが、僕は道徳は実は好きじゃないんです。
しかし、実効性があるんですね。
例えば姿勢がよくないと、
「眉間、丹田、みぞおち」がちゃんと機能しないから、
姿勢が良い方が実際身に付くわけです。
だから実効性がない道徳はほとんど廃れていったんだけど、結構残ってますよね。

世間で常識と思われるものは、突き詰めて検証していくと逆の結論が出ることも多いんです。
でも検証したことがない人はなんとなくやってるわけです。
こちらは何倍もの努力を払って検証しているので、
そうすると最初から主張しなくても通っちゃうんです。

自分を統合させるためには、この4つの要点を把握した上で、
あと二つ追加で言っていることがあります。

自分の家の絵、庭の絵を描いて下さいという心理テストがありますが、あの「心象風景」を使います。
その家の裏庭に当たる場所に、
「過去に自分が恥ずかしかった時の自分」が、氷付けで埋まっているんです。
これはイメージの話ですが、
心象風景の裏庭から掘り出した「恥ずかしかった自分」の顔を見ることができたら
呪いが解けている、自分の過去の縛りがとれているということなんです。
これが自分を統合させるために必要になってきます。

自分を統合させる要点というのは、
4つのタイプがあることを知り、
恥ずかしい自分が氷付けで自分の心の裏庭に埋まっていることを認識すること。
それをひとりずつ顔を見ていくと解けていくということなんです。

最後に、もうひとつの要点が「師匠」にあたる人。
うちは「師匠」とか「先生」とか呼ぶことを軽く禁止しているんですよ。
言葉狩りをするほどではありませんが。
なぜかというと、
「師匠」「先生」と呼ぶ事によって階級というか
立場がはっきりしてしまいますよね。
階級をつけると伸びが悪いし、お互いに縛りが生じてめんどくさくなるんです。
ただ「弟子」という言葉は使います。弟が兄を超えてもいいからね。
ままあるわけです、そういうことは。
それで「弟」はいいでしょうということで使っているんです。

だから、師匠に当たるのは「自分の身体意識」だと思って欲しいんです。
「しっくり」することを師匠にしてください。
もうちょっと詳しく言うと
「丹田、みぞおち、眉間」を
それぞれ「しっくり、いいかんじ、なっとく」するように、
自分の体感を師匠にして確認していくと、いい認識になります。

以前、揉みの授業の時、
モデルで揉まれている人が「痛い痛い」と言っているのに、
「もっと押してもいいですか?」って僕に聞いた人がいるんですよ。
今、目の前で押されている人が痛がっているのに、
横にいる僕に聞くというのは、おかしいことだと気付かない。
僕が「死ぬまで押していい」と言ったら死ぬまで押すかもしれませんね、この人は。
こうなっちゃおしまいです。
自分の体感で判断できない人間が人の身体を触ったらおかしいことになります。

どんなことでも実は繋がっています。
自分の身体の体感意識を育てることを目指してください。
例えば、右の道を行ったらいいか左の道を行ったらいいか、と言う状況の時に、
「直感で選べ」というと「どうしたらいいかわかりません」となりますよね。
そこで「しっくりする方に行け」というと
「じゃこっち」って意外と決められるんです。 

「直感を鍛える」というと、熟語だしよくわからなくなるけど、
「しっくりする」方を選ぶようにしていくと、勘がよくなるんです。
それは身体認識の勘なんですね。
それが自己判断の基本になります。
頭が基準を設け、身体が体感を設けて、どうするかを心で決めるわけですね。
その身体認識を師匠と言うなら「師」にすればいい。
「しっくり」を判断の基準にするということです。


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