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ものすごく久しぶりの更新です、すみません。
森のトトロが最近仲間から受けた質問に対して答えたお話をご紹介します。

まず、質問は、
「こわい」という感情について、なんだかよくわからなくなってしまったので教えて欲しい。
ということなのですが…
この質問以前に、いろいろな会話が行われていて、いろいろ掘り下げていった結果、
この質問に到達した模様です。

ここから、質問者さんへのトトロのお返事をご紹介。

_・_・_・_・_・_
こわいと感じた場合、

まず、安易にその物事に関わることができないくらい、重要視しているものが、その中にあるということ。
安易にその何かをすれば、また過去世と同じような過ちを犯してしまう。と感じているということ。
そして潜在的に言えることは、そのこわい何かをしたり関わる時に、どうすれば安易ではないのかを探し続けているということ。

つまり、こわいと感じることの裏には、
以前の世界でした安易な過ちへの後悔と、
安易でない関わり方ややり方を目指す気持ちと、
安易を後悔して分かるまで触りたくないほど大切にしたい気持ち、
その3つが隠されています。

「安易」だと何を感じていたのかを見つけ、
安易じゃない方法をとうとう見つけると、
関わりたくなかったはずの、こわい状況のなかの仕事が得意分野になったり、天職になることも、ままあります。

「こわい」の裏には、何かを「安易」じゃだめだと感じる自分がいる。でも言葉には出来ていない。だから、固まってしまったり、拒否したり、逃げたようになってしまいやすい。

でも、安易に関わるのがイヤで、距離をとってしまうことが、そんなにダメだろうか?
最前線で敵前逃亡状態になるのはまずいから、だから距離をとる必要があるわけだ。

それが、普通の人たちより、何が安易なのか何が外道なのかわからないまま、何となく世間に関わっている人たちよりも、ダメなことだろうか?

いずれ、彼らのような、世間一般が普通だと思っている人たちも、
いつかは痛みを知って「安易の罪」や問題を知り、
簡単な解決策は無くても、せめて安易なことを繰り返すばかりで、
しかも、わかって認めてそれらをやるならば責任と学習があるからよいが、
自己認識するのも避けて、正当化しているばかりなら、それは人の道にはずれているのだと気が付く日がくると、そう思います。

こわいは、安易に気付く道、安易に気付いた過去を現在に取り戻す道のりだと、思います。
気付いたあとは、こわいは、安易を知る才能になっています。
安易を知ることを、才能と言います。
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にゃにゃにゃー!
この話もまた深いなぁ。
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