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こんにちは栗木ンディです。
森のトトロから「ちょっと注意してね」のお知らせが来ました。

まずは、こちらのスピーチを見てみてください。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/251003

これは今年の6月に渋谷で行われたSEALsの集会で、ミキさんという女性がスピーチしたものです。
リンク先に動画も書き起しもあります。
重複しますが、こちらにもその全文をコピペしておきますので、どちらで見ていただいてもオッケーです。




こんにちは。ミキといいます。 よろしくお願いします。

いきなり戦争だなんて、大袈裟だとか、またか、とか思う人がいると思います。 でも私は怒り狂ってるわけでも、バカの一つ覚えみたいに 反戦を叫んでいるわけでもありません。 たしかに私は怒っているけれど、どうにかそれをぐっとこらえて、怒りをこういう形に変えて、話を聞いてほしくてここにきています。 少しだけ足を止めて話を聞いてください。

日本は今年、戦後70年を迎えました。
「戦争はいけない」そんな当たり前のことを訴えることが 当たり前になりすぎて、いつしか日本人にとって戦争は、どこか野蛮な国の人たちが行う、違う世界の出来事となっていったのかもしれません。 そして、戦争は悲しい、泣ける、物語になっていきました。

最近はよく志半ばで亡くなった人の、悲劇のストーリーが映画化されるけれど、あれは美談なんかではありません。 日本人がかつて行った侵略戦争で、人々は憎んで殺し、殺される論理のなかにいました。 それは、悲劇以外の何物でもありません。

だけど、今の生活と、その物語とが、あまりにかけ離れすぎて、まさか日本人が戦争なんてしないだろうと、いつの間にか私たちは思い込んでしまいます。 だけど、戦争は70年前だから起こったんでしょうか。

今の私たちだって、目の前に武装した兵士が現れたら怖いし、突然家族が殺されたら憎しみを抱きます。 ISILの人質殺害事件の時のように、自らの安全や利益のために、自己責任論といって他人を切り捨てろという世論も生まれます。

今、起こっている戦争は、決して「中東だから」「アフリカだから」という理由で起こっているわけではないんです。 それぞれの信じる正しさが違っているだけで、大切な人や自らが攻撃されたとき、恐怖を覚え、憎しみを持つ気持ちに、きっと変わりはないはずです。 そうして人々は武器を持ち、自衛のために戦ってきたのでしょう。

今の日本があるのは、別に日本人という種族が優秀だったわけではない。 私たちの持つ人を憎んだり、恨んだり、そういう負の感情を放っておくと簡単に争いが起こるから、何百年もかけて世界の人々は、暴力的な感情との付き合い方や折り合いのつけ方を、繰り返し反省し、話し合ってようやくいくつかの約束事として かたちにしてきたのではないでしょうか。

その積み重ねの最たるものの一つが、日本国憲法です。 そうやって戦争の恐ろしさを受け継ぎ、平和な世の中を積み重ねていった人々がいたおかげで今、ちょうど戦争をしない日本に 私たちは生まれてきました。 だから、歴史上の今の日本だけを切り取って、武器を持ちながら戦争に絶対参加しないなんて、そんな理性的でいられるなんて、簡単に確信を持てません。 一度戦地にいけば、いくらでも戦争のきっかけは生まれ、「やり返せ」と、私たちの感情に訴えてくるはずです。

私たちがすべきことは、その積み重ねを「時代が変わったから」と言って簡単に捨ててしまうことなんでしょうか。 捨てることは簡単かもしれないけれど、私は、先人たちの思考した歴史を蔑ろにしたくはありません。 むしろそれを生かして、犠牲のない世界を作れると信じたいのです。 馬鹿な理想主義者かもしれないけれど、その理想を掲げていたいと思うのです。

戦争に参加するなら、武器を作って売るのなら、人を殺すという自覚と覚悟が必要です。 私にはその責任はとても重く感じられます。 だけど今、そのことについて本当によく考えられているでしょうか。

日本だけが、イラク戦争について検証も反省もしていません。 それは物資の支援だけで、多くの民間人が犠牲になったことについて自分達には関係ないという、自覚のない参加をしたからじゃないでしょうか。

今、安倍政権は「後方支援」といって、また覚悟のないまま、戦争に参加しようとしています。 自分は本当に悪いところには手をつけていないと思って、その責任の重さに目を背けています。 まずは、過去から振り返って、その責任に向き合うべきでしょう。

テロリストたちは、どうしてテロリストになったのでしょうか。 彼らの多くは、報復を目的としています。 それは戦争が原因だったり、社会への不満があったりします。 日本はそんな社会作りに加担していなかったでしょうか。 協力したアメリカの政策に、落ち度はなかったでしょうか。 本当に向き合うべきなのは、テロリストを生み出した、今の世の中ではないでしょうか。

テロリストは残酷で、武力に頼っていて、彼らもまた悲劇をもたらします。 だから、私は彼らも許せません。 自分たちの正しさを押し通すために 武力を用いる彼らを、私は許せません。 だけど、だからこそ、何があってももう武器を持って戦争をしてはいけないはずなんです。

9.11以来、対テロ政策として武力行使が正当化されてきたけれど、なにがあっても、どの国の人も、アメリカ人兵士の犠牲さえも、許されるべきではないはずです。 なぜなら、戦争はまた憎しみを生み出し、武力の応酬は何の解決にもなりません。 これ以上の連鎖をとめるために、私たちは 自らその負のサイクルから降りるべきだったのです。

聞き慣れた言葉かもしれないけれど聞いてください。

戦争は人を傷つけます。 子供や未来も傷つけます。 戦争は町や人を破壊します。

70年間言われ続けた、戦争の恐ろしさを伝える言葉たちに、新鮮さを感じなくなって 蔑ろにするようになっていませんか。 どうか想像してみてください。 戦争の恐ろしさと、過去の過ちから目をそらし、武力行使を正当化する私たちと、戦争の恐ろしさを反芻して学びながら、過去を悔いて、武力行使を放棄する私たち。 それぞれの道の先には何が待っているのかを。

私たちはかつて後者にいたはずで、そしてこれからも、同じ選択をしていきたいのです。 私は長い長い紛争で、何が傷ついたのか、その一端をこの目で見て知っています。

3年前、生きるために親元を離れて治療をする、アフガニスタンの子供たちに出会い、数カ月を共に過ごしました。 アフガニスタンでは、長い紛争によりインフラが破壊され、国内では簡単な治療も受けられない状況にあります。 亡くなる子供も少なくなく、治療をしに来られる子はまだ幸運な方と言えます。 怪我や病気があっても彼らはとても元気で、尊重されるべき命で、決してかわいそうな存在ではありません。

手足がなくても、顔に火傷を負って差別されても、子供たちは助け合い、大抵のことは自分たちで出来るようになります。 けれど時間はそうはいきません。 もっと色々な経験ができたはずの時間が、治療やリハビリに費やされています。 そして、大切な成長期に親元にいられないことや、恐怖や憎悪の記憶は、彼らの心にしっかりと刻みつけられているのです。

怪我や病は確実に彼らの可能性を奪っています。 これが、これこそが、報復戦争の結果で、戦争の現実にほかなりません。

子供たちがあんな思いを今しているのは、「アフガニスタン人だから」ではなく、憎悪にかられた武力行使のせいでしょう。 それさえなければ、彼らがあんなに苦しむ必要はなかったでしょう。 私が出会った子どもたちの人生は、物語でもないし美談でもありません。 アフガニスタン人が傷つくことは普通じゃないし、そんなことはあってはならないんです。 彼らがこれ以上傷つくことを私は許せないし、日本人がそれに加担し、私自身がその責任を背負いながら、彼らにまたどう向き合っていけばいいのか分かりません。

だから、こういう現実を見たからこそ、なお、私は理想を掲げ続けたいのです。 戦争はなくせるという理想を掲げ続けたいのです。 その一歩を日本が、日本こそが踏み出せる、そう信じています。

きっと、1人目の日本人犠牲者が出たら、その憎悪が拡大していくのはあっという間でしょう。 国の政策も、国民の感情も、歯止めがきかなくなります。 今、もうすでに様々な犠牲の上に私自身生きているけれど、これ以上の犠牲の上に生きることを、ここでやめましょう。

この法案が通って、初めの自衛隊員が亡くなる前に、または、自衛隊員に人を殺させてしまう前に、こんなバカげた話し合いを終わりにしましょう。 私がこの法案に反対するのは、日本に普通の国になって欲しくないからです。

アフガニスタンには、大切な小さな友人たちがいます。 彼らやその家族を、日本人が、日本人の作った武器が、傷つけることに私は耐えられません。 この国の平和と国民の命を守るために、友人やそのまた友人が、戦地で傷つくことに私は耐えられません。

やられたらやり返す、やられる前にやる、そんな報復合戦に参加し、これから先も、誰かの犠牲の上に自らの平和が成り立っていくことに、私は耐えられません。

私たちの憲法は、今ある普通の国の、その先へ行くことができる、先進的で素晴らしいものだと信じています。 徹底して武力行使をしないことこそが、世界の平和と安全を、かたち作るものだと信じています。

今、実は反対しているのに、声を上げていない人が、私の周りにはたくさんいます。 そういう人たちに聞いてもらいたい。 犠牲者が出てからでは遅いんです。 福島の原発事故で、そのことを痛い程 私たちは突きつけられました。 法案が通って、人が亡くなった時、「だからそうだと思っていたんだ」と、「僕の、私の思っていた通りになった」と、優越感に浸るんですか。 反原発を長年訴えてきた先生は、原発事故以降、間に合わなかったと肩を落としていました。 そんなことを、また繰り返すんですか。

声を上げるなら今です。

SNSでいいね!が増えても、安倍さんに危機感を持たせることはできないでしょう。 彼は彼の人生における 大きな使命を今全うしようとしているのですから。

私たちも、それに見合うだけのエネルギーを注がなくてはいけません。 国会前に集まってください。 デモで一緒に歩いてください。 想像力の乏しい首相には、実態で反対の姿勢を見せなくては、私たちの意志は伝わりません。 忙しいのにわざわざ来るからこそ、意味があるのです。 疲れてるけれど、行かなくては、と思うそのエネルギーに驚くのです。

彼も私たちと同じ人間ならば、何万、何十万の人が集結したその事実に、向き合わずにはいられないでしょう。 私たちが反対の意思表示にかけたそのエネルギーを目の当たりにして、無視してはいられないでしょう。

憎悪の連鎖を、私たち自身が止めましょう。 過ちは繰り返さないと、70年前の犠牲者に私たちは誓ったはずです。

私たちなら止められる。 私たちが止めるんです。 2015年6月27日、私は戦争法案に反対します




確かに説得力もあるし、心を揺さぶられますよね。
ただ、このスピーチには、中国に関する情報がスッポリ抜け落ちていることに気付いて欲しい、
と森のトトロが教えてくれました。

ちょっと長くなりましたので、次の記事で、その詳しい内容を読んでくださいね。
栗木ンディは、どうやら気持ちの上でブロックがあって、一度に読めませんでした。
今読みたくないなぁーと思ったら、少し時間をおいてから読んでみるとスルッと読めたりします。


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