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前回の「カッコ悪く覚える」話とも関連しているんだけれど、
接客の基本として、
「自分の身体を把握して出てくる自然な言葉で」
というのが三つ目にあるんですよ。
何かを習う時に、知識を覚えればいいと思っている人も多いのですが、
覚えた知識だけを使って
「あなたの症状は◯◯です」
というように上から言って接客するタイプになってしまうので、
めちゃめちゃ失礼な接客になってしまいます。
イヤミの塊になっちゃうんです。
実はドクターと呼ばれる職業の人たちがそうなりやすいんですけどね。

自分の身体を把握して、それについて自然にわいた感想で接客する、
というのを具体的に言うと、
例えば、僕は喘息を過去にやったことがあるのですが、
喘息の人を見るとほっておけないんですよ。人ごととは思えないから。
それって自然な行動ですよね。
そんな風に自分の身体をまず把握しておけば、
同じ症状の人を見た時に、上から目線で言うのでなく
「ああそれは大変ですね、そう言う時はこんな方法がよかったですよ」
と言ってあげればイヤミにならないでしょ。
研究が先に立ってしまうような「人の身体を調べたい」という
知識目的の人に身体を触られたくはないですよね?

だから、まず自分の身体を、体感を持って感じて欲しいんです。
これは、カウンセラーにも同じことが言えます。

カウンセラーの友達がなぜか多いというタクシー運転手さんがいらっしゃるのですが、
その人がある時気付いたことがある、という話をしてくれたんです。
「カウンセラーをしている人は、自分の学んだカウンセリング技術で自分をカウンセリングしていない、
自分が学んだ技術で自分をまずカウンセリングすべきだと思う」って。
まず自分にそれをしないで人にするというのは、
自分の心の弱点みたいなもの、間違いを人にコピーしてしまうことになるのではないかと言うんです。
まず自分をその技術とやらでカウンセリングすれば、
それがどんなにイヤミなもので、イヤなもので、
何が足りないのかとか、不足がわかるはずだと。
ドクターもその医療行為とやらを患者に行う前に、
自分や自分の家族に施術すると考えてみてからやって欲しい、
それをしないで第3者に向かってやろうとするから、
ずさんなものになったり一方的なものになったりするんじゃないか、と言われたんです。

僕も本当にそうだと思います。
揉みの技術でもまったく同じことが言えるわけで、
まず自分の身体について把握していない人間が、
他人にあーだこーだ言うのは変だと思うんですよ。
自分の身体ってわかりにくいですよね。
わかりにくいからこそ把握しようとしてみるべきでしょう?
身内を把握しようとしてみる、ぐらいでもいいですよ。
そうすれば、同じ症状については自然にいけるでしょ?

ただ、そうなると自分が経験していない症状について、
他人に施術できないということになっちゃいますので、
自分が同じ症状を経験していない時は、究極の原因を考えてください。
原因ってみんな同じなんです、堰止まりと蓄積。
「ああ、堰止まりと蓄積ですね。わかります、ぼくもそうでした。」
ということならみんな経験、体験がありますから、誰に対しても言えるわけですよ。
まず自分の身体の中の堰止まりと蓄積を把握して感じる。
すると人の堰止まりと蓄積に対しては、上から目線の知識じゃなく、
体感で「ああ、同じことぼくもあります、ほっておけない」っていうイヤミじゃない体勢で行けるわけです。

知識欲が先に立つ人はここがわからないんだよね。
自分を置いておいて、外側に正解があると思っているうちは、三流のイヤミになっちゃうんですよ。
揉みの話や医療業界だけでなくいろんな業界でそういう人は多いです。
よい師や仲間に縁がなかったんだなと思います。
ひどい状態の人を見て、相手を責める人もいるんだよね「あなたは不幸ですね」としか思わない。

Yさん:私、子供が風邪をひくと自己管理が悪いって怒るの(笑)

トトロ:それはよくある言葉ですね。
でもそれを自分に向けてみたら、自己管理っていったいどうするんだ?
世の中の環境(気温やウイルスなど)については、予知能力者じゃないんだし、
誰も管理できないものだ、と思うと答えが変わってくるかもしれないよね。
体感を持っていない上からのセリフというのは説得力がないらしいんです。
机上の空論だということを、言われる子供の方が見抜いてしまう。
まじめな子供は
「僕の自己管理が悪いのかもしれない、でもそもそもどうやったら自己管理ってできるのかな…」
ってある時気付く。
でも言ってる方はそこに気付かないから、そこから親が軽く見られたりすることがある。
それが知識的なものの弱点なんですよね。

僕は知識にものすごく詳しいと思われているけど、
実は知識の扱い方とか、知識とはなんなのかについての方がもっと詳しいのね。
知識だけそのままだと役に立ちにくい。
すごく使いづらく逆効果になりやすくイヤミで三流になりやすいということが多い。
要するに、手順とかマニュアルとかなしで、体感だけでやってる人が、
一流の(一流という言葉自体がすでにギャグのセリフになっちゃうんだけど笑)自己流になっている人ですね。
目立っている人も目立たない人も含めて、
生命倫理のバランス(三焦五行バランス)が良いことをしている人というのは、
やっぱりすごい自己流なんですよね。

さっきちらっと言ったけど、マニュアルというのは、
人に教える時にだけちょっとジャンプ台として必要かもしれないけれど、
最後は自己流になっちゃいます。自己流になるとゴールなんです。 

陶芸職人に例えてみましょうか、同じ職人仕事ですしね。
陶芸を学んでいる弟子が、一生懸命練習して師匠とそっくりな作品を作れるようになったとしましょう。
「よしお前はおれとそっくりな贋作を作れるようになったな、卒業!」
って師匠は言わないでしょ?
それじゃ贋作職人を育てる学校になっちゃいますよね。
判で押したような同じものを作ったら贋作ですよ。
自分流のいい焼き物を作れるようになったら卒業でしょう?
職人仕事っていうのは、同じものを作ったら失敗、贋作職人なんですよ。
なのに世間では、学校で医者の贋作職人、偽物の医者ばかり作ってるんですよ。
最初に医学を作った人は本物の医者です。
または自己流にしていった人も本物の医者と言えるけれど、
教えられた答えだけをコピーしてやっている人は医療の贋作職人ですよね。
だから偽物みたいな薄いことばかり。

教師にも同じことが言えます。
自己流の教え方を作らなかった人は、
教師の偽物であって、教師の贋作職人だなと思います。そういう先生が多いですよね。

だから、知識じゃなくて、
自分の体感を持って、自分の感想を持ってから人に感想を持つ、
というのが三番目の要点なんです。
一度ゼロになり、
カッコ悪く覚えて、
知識ではなくて自分の身体をまず把握して、
体感して、自然な感想で、というのがうちの授業の方針なんです。


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