上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
その1からのつづきです。

<「待つ」という状態>

ここからが本題です。ひときわ長くなってしまったので、一度休んでから続きをどうぞ。(笑)

「待つ」という行動というか、その状態についての話をします。色々な方々に関わって、教えて頂いた体験から、徐々に分かってきた認識を、お話します。

この「待つ」という言葉も、「努力」とか、「プライド」とかいう言葉と同じように、だんだん本来の意味とは反対の意味になってきてしまった言葉だと思うんですよ。

詳しく言いますと、「努力」は、昔は自分の考えや納得した方法で「追究して」いく事だったんですが、今風では、自分を「押し殺して」でも何らかのメソッドやマニュアルのようなやり方を実行する事になっています。例えば受験勉強のようなイメージです。

「プライド」が高いっていうのも、昔は、誰に何と思われても自分の意見や行動を「曲げない」自信家の事だったのですが、今風では、他人の目を「気にして」「自分のことを良く思われたくて」「そのために言動や行動を気にして」「依存的に周りに誉められないとダメな人」の事です。めんどくさい人の事を表す文脈でばかり使うようになりました。

そして、「待つ」なんですが、今風の解釈では、「何もしないで」または「足りないが、これ以上何もできないで」、それでも仕方ないとして、心はあきらめてはいないが、「状況をそのまま見送るしかない」という事になっています。そういう状態を認める、という行動であるという解釈もあります。

しかし、昔の解釈は、やはり似て非なるものなんです。でも、「努力」や「プライド」のように、違いが分かりやすくはないんです。

なぜかというと、現代では、何かの方法とか手段と言うと、物質主義的なものばかりを連想しやすく、あまり具体的ではない「気分や善意を満たす」などの精神主義的なものや、意志や覚悟の決定に関わる「価値観」的なものを、ただの補助的なものとしか思わないし、そうとしか習わないからです。

手段を3つに分けて考えましょう。
物質主義的な損得としての、物や金銭や時間や総合的合理性をもたらす
「①合理手段」。
精神主義的な善意やいわゆる徳目をみたし社交的で他者からも評価される
「②理想手段」。
意志や覚悟のような、本人の納得をもたらし最終的自己肯定感をもたらす
「③覚悟手段」。

現代において、普通に「手段」というと「①合理手段」のことです。作戦的でメリットをもたらすので、これが表向きは目標になるのですが、実はこれだけでは決して心は、満たされはしないんです。
「②理想手段」と「③覚悟手段」を考えない状態で、主に物質的なメリットだけを満たしても、精神的善意の満足や、本人の納得は得られないからです。

つまりこうです。いくら、物や金銭や時間が多く得られても、他人や知人に苦しみを与え過ぎたり、本人の納得のいく形にならない結論になるならば、無理矢理、親が押し付けた価値観で、鬱病や神経症になるような結論が待っているだけだと言うことです。

そういう風に言うと、あまりにも当たり前なのに、そう知っているはずなのに、なぜかそういう親に育てられた人たちまで、手段と言うと「①合理手段」に、とらわれてしまっているのが現代の状況です。

まだ、「②理想手段」は語られるのですが、なぜか「①合理手段」に反対する立場の概念としてだけ語られます。スピリチュアルや宗教や哲学的な理想論だとして、だいたいは無視していいもの、現実的ではない無視するしかないもの、として扱われます。
その結果、理想を語るからか、原発反対や反グローバリズムもそう扱われています。「①合理手段」に反する非現実的なものであるというレッテルであり、思い込みです。反対運動をしている方も、そう思い込んでいる事もあります。現実を倒さないとダメだと思い込み、対立して一切の妥協を許さなくなります。

そして、「③覚悟手段」が肝心なのですが、これがなんなのかもう、どうでもいい感じなんですよ、現代では。
ほとんどが、こうなってしまっています。
つまり、「①合理手段」で物や金銭や時間が得であればいいし、「②理想手段」も少しは考えて、良い人でいられる程度に他人への迷惑を減らせばよくて、「③覚悟手段」なんて良くわかんないよね。やるかやらないかしか、覚悟なんてないじゃん。みたいな感じです。

あの~、なんで、自分の意見と合いもしない合理性を、自分の人生の目標にしないといけないのでしょうか?
それを押し付けられ、それどころか同意か同調をしないと、恐ろしいほどのバカか、非常識な、とにかく迷惑なやつだ的な視線で見られたり、味方にまであわれみの視線をなぜ受けなければならないのでしょうか?
かなり前から言いたかったのですが、「それこそバカか?わけがわからん。」

あ、言い過ぎましたか。でも、それくらいの違いなんです。この解離にはそれくらいの距離があります。
「③覚悟手段」が自分にはなくて、合理性だけで自動決定してしまっている人は、現代ではすごく多いからだと言えます。

もし、自分にできることが限られていても、選択肢が余りなくても、「自分が何をどうしたいのかを考え、何にどう思われたいのかを感じ、どういう形の決着を目指して生きたいのか自己を認識し、実際にそうなろうとなるまいと実行に移したのなら、ことの総合結果を全て受け入れようとする。まだ、そう覚悟できないのなら、待つ。」そのように、覚悟してみようとして、何度も何度も考え、悩むことはできます。

もちろん、安易には動けないでしょう。まずは、他人の示す規範などに、従いながら生きてみる。それでいいと、思います。「今は、自分は動かない。」という覚悟をしているということです。
「動けない」ではない事が重要です。「動かない」じゃないと「③覚悟手段」には、なりません。それでは、自分の判断ではなくなるからです。背景や環境のせいにしてしまうと、意志がなくなり、恨みがましくなるだけです。

昔の人の判断や行動には、「①合理手段」「②理想手段」「③覚悟手段」が、別に特別な難しさも無く、3つとも同時にありました。
「①合理手段」を押し付ける無礼をする人が少なかったのと、「②理想手段」が現実と対立する運命だという思い込みばかりではなかったこと、「③覚悟手段」を他人任せで自動決定していた人は、よほどのお姫様かお殿様のような覚悟ない、やらされ感ばかりが強い儀式的な階層の人だけだったこと。などが、強いて言えば理由ですが、自分の立場が重要なのは、自分や家族や仲間だけであり、判断を他人任せにすることは、ありえませんでした。


さて、「待つ」の話に、ここで戻ります。

昔の「待つ」は、「①自分が何をどうしたいのかを考え、②何にどう思われたいのかを感じ、③どういう形の決着を目指して生きたいのか自己を認識し、実際にそうなろうとなるまいと実行に移したのなら、ことの総合結果を全て受け入れようとする。まだ、そう覚悟できないのなら、待つ。」こうでした。①②③の手段は全て意識せざるを得ませんでした。

そして、今風の「待つ」の解釈は、「何もしないでいる」または「手段が足りないが、これ以上何もできないでいる」、それでも仕方ないとして、心はあきらめてはいないが、「状況をそのまま見送るしかない」という事になります。

昔は「動けない」ではなく「動かない」という覚悟なのですが、今風では「動けない」ので「何もしない」「何もできない」で「状況を見送る」という判断停止=他人や状況まかせでしかないので、意志がないため恨みがましくなってしまうのです。どうしようもない感が深層心理に強くある状態です。

かなり長くなりましたが、まとめていきます。

今、流行っている誰かが作り出した判断が「①合理手段」でメリットを確保し、「②理想手段」も他人に責められない程度にはあるような時に、そういう誰かの作った判断にばかり決めてもらって、自分の意見を持たないでいると、特に自分にしか分からない、自分だけの立場からの覚悟である「③覚悟手段」がないと、以下の2つの問題と1つの迷惑が発生します。

まず、状況による「やらされ感」ばかりを強く感じてしまうので、感謝や達成感や幸福感が無くなります。自己判断なくして自己肯定はないからです。当たり前です。

次に、「待って」いるようでも、実は状況のせいにしているので、深層心理では恨んでしまい、いわゆる「手放す」ことができなくなり、何かに依存してしまいやすくなります。覚悟による自己責任がないからで、これも当たり前です。

そして最後は、「自己判断をすることで自己肯定感があり、覚悟もあって自己責任を果そうとする、すごく昔ならまともである人」を見かけると、その人がすごく「非常識な自己中心的」な「迷惑なトラブルメーカー」に見えてしまうので、皆で徒党を組んで排除してしまうということをしてしまいやすくなります。

よくある多数派の暴力ですが、これこそ「自己中心的」で「迷惑」だと思うのですが、「皆と違って判断を自分でしている人」が「非常識」な「トラブルメーカー」にしか見えないのです。皆や自分にとって良いといえる意見ですら、そう見えてしまいます。

これは、よく頭の良い官僚タイプに見られる現象です。記憶力があって理解力がない状態に、覚悟がないだけでなってしまうからです。喜悲劇的です。自分たちが問題を解決する可能性も、自分たちで閉ざしてしまっています。覚悟がないと自分の間違いに気付けないので、実はこれも当たり前なんです。

以上が、覚悟がないと、「待った」ことにすらならないという話でした。


<狂気の天才を待つ時間>につづく



スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://totoro2011.blog9.fc2.com/tb.php/49-16b7f45d
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。