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生まれてからずっと、たくさんの暗示をどんどん取り込んで身動きできなくなっちゃってる人が多いので、ほどくのに役に立つかも?という思いで、森にやってくる人にトトロが語り続けている話があります。
それはとっても長いお話なので、すべてをここにご紹介できませんが、その中のほんの一部を抜粋してみます。

生きていく上で、自分の考えや行動の基準となる価値観、哲学とよべるものがあります。
これは時代によっても、人種によっても、育った環境によっても変化するものですが、
誰かと話が噛み合わないと感じた時、もしかしたら、こんな違いが根底にあるのかもね?と思うと楽になるかもしれません。

大きく5種類に分類しています。

(ここからトトロのおはなし)


■運命論

運命論とは「すべては神のシナリオ、または運命のシナリオが定めている」という考え方です。
すべてのシナリオが定められており、努力の余地はないという考え方です。

こういう「すべては定まった」と言うキリスト教右派 のバプテストのような人というのは、なぜか「姿」を気 にするんです。どういうことかと言うと、
正しく生きている人に神は恩恵を授けます。
正しく生きていない人には懲罰を与えます。
ということは、自分が正しく生きているはずなのに、交通事故に3回も遭った、なんていうのはすごくかっこ悪いのね。自動的に「あなたは正しくないから懲罰を受けた」ということになってしまうんです。

だからアメリカ人は「神は金を下さる」と言ったりするの。
「え?神様とお金って?」と日本人はちょっとびっくりしますよね。でも日本人も「神様は現世利益を 下さる」ぐらいは言うでしょ。「お金」と言わないだけ であって、要するに「私の宗教的な正しさの証拠に神は現世利益としてご褒美を下さる」という言い方をするんです。
だから「正しい現世利益のある姿が宗教的正しさを証明する」という形になっちゃうんですよね。

ある意味すごい見栄っ張りです。僕は運命論者の人が滑稽に見えてしまいます。「姿」にこだわるのが運命論者。宗教家タイプでもあります。



■自由論

自由論者は「すべては定まっていない。すべては自分の自由な意志で決まる」と考えます。
一見いいように思えるでしょ?ですがこれもハマると力に溺れてしまうんです。

なぜかというと、みんな自由ということは、自分も自由だけど、隣のおやじも自由なわけ。突然なぐりに来るかもしれない、殺しに来るかも、レイプしにくるかも、とかいろんなことを思うわけです。
全員自由なわけですから、いつやられても負けないように力を準備しておかなくちゃいけないんですよ。
腕力、経済力、軍隊、領土、美しさとか、社交力、コミュニケーション力、権力ですよ。
みんなお互いに自由で何をされるかわからないから準備しておかなくては、ということで力に溺れる。

こっちは経営者タイプになります。やはりね、自由な のは一見良さそうだけれど、なんでもやり過ぎるとどれも毒です。「力に溺れる」ということになります。



■法則論

今の時代、悪者にされてしまってかわいそうなのが、 法則論者です。法則論の人は「法」が一番大事なんです。
医者にも多いです。医学の法則に反して患者が生き延びるぐらいなら、むしろ医学の法則通り死んで欲しいと思っている医者はたくさんいます。
また、「経済の法則」や「国の都合」に対して反対運動をする人や、反原発のデモをする人などに対して、「法則通り」に経済的な情報操作などに飲み込まれて、むしろ早く寿命が尽きて欲しいと思っているような人もいるんです。
命より法が大事な人たちなんですね。

どんな法則でもいいんです。宗教の法則でも、カルマ の法則でも、経済の法則でも、国家の運営であっても、なんでもです。法則の方が大事な人というのはたくさんいるんです。
今の時代、この法則に乗っている人が主流派で、権力の中心にいる人が多いので悪者に見えてしまいますが、 他のものが主流派だった時代は、法則論者もいい人だったはずなんですけどね。
「呪術的に人をコントロールす るような、力だけの満足の世界」の時代には、法則論者は理性的でいい人だったと思うんですよ。



■受諾論

受諾論は、受入れるという意味ですね。これは聞き慣 れない言葉かもしれませんが、「受入れればいい」と 思っている人で、「愛情」が一番大事なんです。
この場合の「愛情」というのは「愛情があるなら受け入れるはずだ」の意味の愛情です。
同調するとか受入れるとかですね。

日本人には受諾論者が一番多いです。最近変わって来ているかもしれないですね。311の震災が「受諾論者の群れ」を一撃で吹き飛ばしてしまったようなところがあるのでだいぶ状況が変わってきました。

受諾論者についてわかりやすいふたりの話をしますね。
まず一人目、「私が二十歳の頃に付き合っていた彼 は、博打打ちで私に暴行を加えるDVの最低な男だったんですが、私はその暴行とDVや博打に耐えて、頑張って働きながらその人と結婚して、20年添い遂げました。今 40歳です」という人。

二人目「私が二十歳の時に付き合っていた彼は博打打ちでしかも私に暴行を加えるDVの最低男だったので、 頭に来て、中国拳法を習って三発殴って追い出し、その場で別れました」という人。

この二人について、「受入れて20年頑張った人の方が 人間として上だと思う」と思う人は受諾論者なんです。
「悪を栄えさせただけじゃないの?」と思う人は普通かもしれません。

日本では「耐えて頑張った人」への評価が高いんですね。受諾論者が多いから。受諾論者はこれこそ愛であって愛が深い人間の方がより上質の上位の人間だと思っています。

この話をここでする時に、集まった人の中に受諾論者がいない時がたまにあるんですよ。「三発殴って追い出せ」ってみんなで言い出す時もあるからそれも面白くてね(笑)。

受入れることも愛情を持つことも、もちろんとても大事なことなんですが、それも徹底してやり過ぎると悪をのさばらせたりすることになるから、必ずしもいいとは限らない、という話です。



■成長論

成長論者にとって一番大切なことは「生き延びること」なんです。
要するに「今は俺はダメだけど、自分を 鍛えていつかこれを達成してやる」とか「今うちの会社 はダメだけど、頑張って改革していい会社にする」とか 「今自分の国はダメだけど...」「今の時代はダメだけ ど...」というように「頑張って鍛えて成長していつかその目標や理想を満たしたい」と思っている人です。

一見いいように見えますが、この成長論者にも、重大な問題点があるんです。僕もこのタイプだったので、あれなんですが...(笑)

生き延びることを大事とするということは、もし今会社が滅びようとしていたら「こんなダメな会社と一緒に 滅びるわけにはいかない」でしょ。「おれは生き伸びて次の勝負をして成長して勝つ」と考えます。だから「こんな会社やこんな国と最期を共にできるか!」というわけで、結構平気で裏切っちゃうんです。

成長論者の人というのは、頑張って自分を育てて次にいい結論を出そうとするところが長所なんですが、行き過ぎれば裏切りにいってしまうということです。



この世を舞台に例えて考えてみましょう。
運命論者というのは、脚本にこだわる人です。
自由論者は舞台装置にこだわる人。
他にも配役にこだわる役者や、役者であるプライドにこだわる役者もいます。
「俺は役者 でも配役でもある前に本人だ」という人もいます。

だからスピリチュアルにハマる人というのは、脚本を書き換えろとばかり言う役者、ちょっとへたくそな役者 の状態です(笑)。「ものすごい舞台装置がないとオレは やる気が出ない」という役者はまたそれも問題ですよね。だから全部必要ではあるのですが、そもそも人生は 自分のアドリブなので好きなようにやっていい、という前提があるということなんです。
(ここまで)



森のトトロが教えてくれた人生哲学、いかがでしたでしょうか。
世の中でいろんな対立が起きている原因はこういう側面もあるのね、と思った栗木ンディです。

森のトトロは、このような哲学なんか全部乗り越えた先に行こうじゃないか、ということを教えてくれているのですが、その話はまたの機会に。

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