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生まれてからずっと、たくさんの暗示をどんどん取り込んで身動きできなくなっちゃってる人が多いので、ほどくのに役に立つかも?という思いで、森にやってくる人にトトロが語り続けている話があります。
それはとっても長いお話なので、すべてをここにご紹介できませんが、その中のほんの一部を抜粋してみます。

生きていく上で、自分の考えや行動の基準となる価値観、哲学とよべるものがあります。
これは時代によっても、人種によっても、育った環境によっても変化するものですが、
誰かと話が噛み合わないと感じた時、もしかしたら、こんな違いが根底にあるのかもね?と思うと楽になるかもしれません。

大きく5種類に分類しています。

(ここからトトロのおはなし)


■運命論

運命論とは「すべては神のシナリオ、または運命のシナリオが定めている」という考え方です。
すべてのシナリオが定められており、努力の余地はないという考え方です。

こういう「すべては定まった」と言うキリスト教右派 のバプテストのような人というのは、なぜか「姿」を気 にするんです。どういうことかと言うと、
正しく生きている人に神は恩恵を授けます。
正しく生きていない人には懲罰を与えます。
ということは、自分が正しく生きているはずなのに、交通事故に3回も遭った、なんていうのはすごくかっこ悪いのね。自動的に「あなたは正しくないから懲罰を受けた」ということになってしまうんです。

だからアメリカ人は「神は金を下さる」と言ったりするの。
「え?神様とお金って?」と日本人はちょっとびっくりしますよね。でも日本人も「神様は現世利益を 下さる」ぐらいは言うでしょ。「お金」と言わないだけ であって、要するに「私の宗教的な正しさの証拠に神は現世利益としてご褒美を下さる」という言い方をするんです。
だから「正しい現世利益のある姿が宗教的正しさを証明する」という形になっちゃうんですよね。

ある意味すごい見栄っ張りです。僕は運命論者の人が滑稽に見えてしまいます。「姿」にこだわるのが運命論者。宗教家タイプでもあります。



■自由論

自由論者は「すべては定まっていない。すべては自分の自由な意志で決まる」と考えます。
一見いいように思えるでしょ?ですがこれもハマると力に溺れてしまうんです。

なぜかというと、みんな自由ということは、自分も自由だけど、隣のおやじも自由なわけ。突然なぐりに来るかもしれない、殺しに来るかも、レイプしにくるかも、とかいろんなことを思うわけです。
全員自由なわけですから、いつやられても負けないように力を準備しておかなくちゃいけないんですよ。
腕力、経済力、軍隊、領土、美しさとか、社交力、コミュニケーション力、権力ですよ。
みんなお互いに自由で何をされるかわからないから準備しておかなくては、ということで力に溺れる。

こっちは経営者タイプになります。やはりね、自由な のは一見良さそうだけれど、なんでもやり過ぎるとどれも毒です。「力に溺れる」ということになります。



■法則論

今の時代、悪者にされてしまってかわいそうなのが、 法則論者です。法則論の人は「法」が一番大事なんです。
医者にも多いです。医学の法則に反して患者が生き延びるぐらいなら、むしろ医学の法則通り死んで欲しいと思っている医者はたくさんいます。
また、「経済の法則」や「国の都合」に対して反対運動をする人や、反原発のデモをする人などに対して、「法則通り」に経済的な情報操作などに飲み込まれて、むしろ早く寿命が尽きて欲しいと思っているような人もいるんです。
命より法が大事な人たちなんですね。

どんな法則でもいいんです。宗教の法則でも、カルマ の法則でも、経済の法則でも、国家の運営であっても、なんでもです。法則の方が大事な人というのはたくさんいるんです。
今の時代、この法則に乗っている人が主流派で、権力の中心にいる人が多いので悪者に見えてしまいますが、 他のものが主流派だった時代は、法則論者もいい人だったはずなんですけどね。
「呪術的に人をコントロールす るような、力だけの満足の世界」の時代には、法則論者は理性的でいい人だったと思うんですよ。



■受諾論

受諾論は、受入れるという意味ですね。これは聞き慣 れない言葉かもしれませんが、「受入れればいい」と 思っている人で、「愛情」が一番大事なんです。
この場合の「愛情」というのは「愛情があるなら受け入れるはずだ」の意味の愛情です。
同調するとか受入れるとかですね。

日本人には受諾論者が一番多いです。最近変わって来ているかもしれないですね。311の震災が「受諾論者の群れ」を一撃で吹き飛ばしてしまったようなところがあるのでだいぶ状況が変わってきました。

受諾論者についてわかりやすいふたりの話をしますね。
まず一人目、「私が二十歳の頃に付き合っていた彼 は、博打打ちで私に暴行を加えるDVの最低な男だったんですが、私はその暴行とDVや博打に耐えて、頑張って働きながらその人と結婚して、20年添い遂げました。今 40歳です」という人。

二人目「私が二十歳の時に付き合っていた彼は博打打ちでしかも私に暴行を加えるDVの最低男だったので、 頭に来て、中国拳法を習って三発殴って追い出し、その場で別れました」という人。

この二人について、「受入れて20年頑張った人の方が 人間として上だと思う」と思う人は受諾論者なんです。
「悪を栄えさせただけじゃないの?」と思う人は普通かもしれません。

日本では「耐えて頑張った人」への評価が高いんですね。受諾論者が多いから。受諾論者はこれこそ愛であって愛が深い人間の方がより上質の上位の人間だと思っています。

この話をここでする時に、集まった人の中に受諾論者がいない時がたまにあるんですよ。「三発殴って追い出せ」ってみんなで言い出す時もあるからそれも面白くてね(笑)。

受入れることも愛情を持つことも、もちろんとても大事なことなんですが、それも徹底してやり過ぎると悪をのさばらせたりすることになるから、必ずしもいいとは限らない、という話です。



■成長論

成長論者にとって一番大切なことは「生き延びること」なんです。
要するに「今は俺はダメだけど、自分を 鍛えていつかこれを達成してやる」とか「今うちの会社 はダメだけど、頑張って改革していい会社にする」とか 「今自分の国はダメだけど...」「今の時代はダメだけ ど...」というように「頑張って鍛えて成長していつかその目標や理想を満たしたい」と思っている人です。

一見いいように見えますが、この成長論者にも、重大な問題点があるんです。僕もこのタイプだったので、あれなんですが...(笑)

生き延びることを大事とするということは、もし今会社が滅びようとしていたら「こんなダメな会社と一緒に 滅びるわけにはいかない」でしょ。「おれは生き伸びて次の勝負をして成長して勝つ」と考えます。だから「こんな会社やこんな国と最期を共にできるか!」というわけで、結構平気で裏切っちゃうんです。

成長論者の人というのは、頑張って自分を育てて次にいい結論を出そうとするところが長所なんですが、行き過ぎれば裏切りにいってしまうということです。



この世を舞台に例えて考えてみましょう。
運命論者というのは、脚本にこだわる人です。
自由論者は舞台装置にこだわる人。
他にも配役にこだわる役者や、役者であるプライドにこだわる役者もいます。
「俺は役者 でも配役でもある前に本人だ」という人もいます。

だからスピリチュアルにハマる人というのは、脚本を書き換えろとばかり言う役者、ちょっとへたくそな役者 の状態です(笑)。「ものすごい舞台装置がないとオレは やる気が出ない」という役者はまたそれも問題ですよね。だから全部必要ではあるのですが、そもそも人生は 自分のアドリブなので好きなようにやっていい、という前提があるということなんです。
(ここまで)



森のトトロが教えてくれた人生哲学、いかがでしたでしょうか。
世の中でいろんな対立が起きている原因はこういう側面もあるのね、と思った栗木ンディです。

森のトトロは、このような哲学なんか全部乗り越えた先に行こうじゃないか、ということを教えてくれているのですが、その話はまたの機会に。

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心を揺さぶるスピーチを聞いたなら、少し注意して欲しい その1のつづきです。

SEALsの集会でのスピーチについて、森のトトロが感じたことを知らせてくれましたので公開します。




このSEALDs(シールズ)の女性のスピーチは、
すでに他国(=中国)の侵略が沖縄県尖閣諸島を襲っていることや、
チベット人が子供を作れないように少女のうちに中国政府によって集められ、
卵巣などを破壊されていること(保護したNGOで発覚している)などを無視して、
アメリカの戦争に付き合ってはいけない、とばかり言っています。
その主張だけで聞く人の感情をゆさぶる、すごい演説です。

なぜか中国の危険性や、現在も続く弾圧や侵略には全く言及しません。
そこに気付けば、強い違和感があることがわかりますが。

しかし、これはアメリカ側の立場から見れば、こんな感じになります。
「アメリカは、日本と中国の戦争に巻き込まれたとしても、
民主主義を守ると表明して、アメリカと日本との同盟で中国に対抗するとまで決めたのに、
日本が同盟責任である集団的自衛権を持とうとしないままで、これまでと同じ状態でいたいだけなら、どうぞ中国に呑み込まれて下さい。
それとも、日本一国で中国から身を守れるんですかね。
中国に呑み込まれても、それでもいいっていうんなら、もう、知りませんよ。」
という感じでしょう。そりゃそうです。

だって、同盟責任を果たすためには必要となる集団的自衛権を無視して、
つまりアメリカには守られるだけで、日本は自国への個別的自衛権しかしない、アメリカには協力しない、
という考えは、甘えた利己的な子供みたいな、国際的には全く通じない考え方だからです。
自分さえ平和なら良いという利己国家であるという主張になるからです。
平和国家日本は尊いんだと言われても、なぜそれをアメリカが命がけで守る義務があるのか、
日本には自己責任というのは、ないのか?と、不思議がられています。
戦後のアメリカ統治での日本への暗示の責任も、大きいのですが。

戦後、GHQはWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)つまり、
戦争への罪悪感を強調するプログラムを日本に施しました。
すでにアメリカでは40年たった時点で、公文書公開されていますが、その目的とは、以下の3つでした。

①平和憲法があれば一番安全で安心
②いざとなったらアメリカ軍が守るから軍隊はいらない
③日本軍はアジア諸国で残虐なことをして全ての大義は嘘ばかりだった。もう国なんて信じてはいけない。

上記のプログラムは、「真相箱」などのラジオ番組や、教育への介入で行いました。
これらは、今もマスコミや教育に深く入り込んでいて、
ものすごい暗示となって、現在の日本の世論にも強い影響を与えています。

そこに、外交や謀略に長けた中国がつけこみました。

①平和活動に見せかけて日本国内の保守と左派の対立をあおり
②アメリカと日本を仲違いさせ
③中国と対立しないでいるのが平和で安全、有事法制はアメリカの戦後に巻き込まれるだけで、むしろ危険だよ。

などという、この①②③の主張は、中国の北京指導部の方針であることは、
中国から亡命して日本に帰化した人たちが次々とバラしているのですが、
日本国内のマスコミや平和運動の人たちの主張とも、驚くほど一致しています。
中国の危険性は全く計算しないあたりも、同じです。
これは戦前からの、中国の長年の謀略なのだということを、京大の中西教授がたくさんの著書で指摘しています。
最近の中国の侵略により、中西教授はやっと認められてきたようです。


さて、集団的自衛権というのは、相互同盟でのお互いに担保された防衛契約のことです。
これがなければ同盟とは言えませんから、アメリカが日本を守る必要もなくなってしまいます。
そういうものです。

個別自衛権だけしかしない、というのはつまり、
「日本は同盟せず一国で平和を作ることができる」という意味になります。
こういう思い上がった意見の国は他になかなかありませんが、(スイスは傭兵や軍隊を派遣しつつ老練な外交で中立)、
これは戦後のアメリカの占領統治で、アメリカ軍をあてにした法律だけを作って運用してきたため、
日本人は平和だけをとなえていれば、それが一番安全だと信じているからです。

現実には、民主主義国家どうしの同盟が一番、
戦争への抑止力になっているというのが、分析により明らかになっています。
つまり、民主主義国家どうしの同盟は、平和のためにするものだということです。
アメリカや欧州などが作ってきた、そういう現在の体制に反対しているのが、
原理主義のイスラム国家や中国のような、専制国家だというわけです。
彼らにとっては民主主義国家どうしの平和同盟は、都合が悪いわけです。

もちろん欧米的な支配にも、たくさんの問題があります。
だからこそ、テロなどで対抗する状態の国も、意見も、たくさんあります。
欧米に隷従せずにいることも大切ですが、
中国などの専制国家の危険性にも、より注意を払うことが重要で、
中国が欧米よりも危険だし問題だということを忘れさせて、日本とアメリカの対立をあおるのは、
中国のプロパガンダ(宣伝謀略)にのる、「危険な平和運動」だということに、なります。

そもそも、日本だけは戦争をしない国だから、すばらしい国なので中国も侵略しないはず、なのでしょうか?
そんなわけはありません。
もともとアメリカが日本軍復活を怖れて、
戦後に「日本に軍隊がなくてもアメリカが守るから大丈夫」と暗示をかけた訳なのですが、
現在のアメリカの意見は、
「なんでそんな利己的で甘えた意見の日本をアメリカが命がけで守らないといけないの?」という感じのようです。

日本が集団的自衛権(=同盟防衛戦)をこれまでしてこなかったというのは、それだけでは尊くはないんです。
なぜならそれはアメリカの統治の傘の仲間だからできてきたことで、
日本人が自分だけでやっていたことではないからです。
つまり、アメリカに手を汚してもらったり、脅してもらったりしていたわけですから。
もし、「日本は一国で平和ですばらしい。アメリカとの同盟なんて知らないし要らない。」というのなら、それは思い上がった認識だということです。
つまり「アメリカに守って貰っておいて集団的自衛権はしてこなかった。」というのは、自己中な国だったととられるだけなんです。
アメリカを利用して自衛しないでこれたからだと、分かっているのならばまだいいのですが、
それが分からずに、「世界で尊敬されている平和国家・日本」であると思い上がるのは、危険だし失礼だし無責任だと感じます。

確かに、アメリカは自分の都合で日本と戦って占領した上で、日本を平和に管理するために、さまざまな暗示をかけてきました。
これまで日本では、そんなアメリカ人に対して、日本を守るために米軍には戦って死んでもらって当然みたいな態度になってしまうか、または米軍自体を無視していました。

そして、「日本は平和のために自分しか守らないし、尊い平和のために、個別的自衛しかしない。」と、突っ張ってきました。
しかも「アメリカこそ侵略国家じゃないか、そんな国には頼らない」とか悪口も言ったりしてきました。
軍隊がないのが、戦後の日本のプライドになっていたわけです。

中国などの侵略国家が周辺に無いか、あっても怖くないならば、そう考えるのも分かりますが。
だが今や、中国は沖縄県尖閣諸島や、東アジア各国を侵略中です。危険なんです。

中国と韓半島の国以外では、日本の集団的自衛権に対して反対した国はありません。
つまり日本とアメリカの民主主義同盟に他の全ての国が賛成しているという事です。
それは何故なのでしょうか?
それは、「日本一国だけでは、中国とは戦えないから」だと、まともな民主主義の国では語られはじめています。
それが現実だから。
中国の侵略に集団で対抗する必要性を、もう世界の他の国々は感じているということです。

アメリカと日本の同盟を弱体化させて、中国が沖縄や東アジアの国々を侵略し、石油を運ぶ海の道を奪ってしまえば、日本を属国同様にできる。それも中国の狙いのようです。

ちなみにSEALDs(シールズ)は日本共産党の関連機関でもあり、
中国の北京の共産党とはもともと連携関係があった組織です。
現在は連携関係を切っているのですが、まだ多数の工作員が入り込んでいると言われています。

有事法制とは、強盗が入らないように、家に鍵を掛けて、
その上で民主主義という重要な価値観を共有した仲間(アメリカ)と協力して、強盗(中国)に入られないように家を守る。ということです。
それは民主主義ではない中国という危険な国の侵略という、現実の変化に対して、
明らかに必要になってきてしまったことなのですが、
SEALDs(シールズ)の人たちによると、アメリカこそが侵略を重ねた強盗であり、中国や韓国を信じて友好関係を結べばもう安全で、アメリカとこそ手を切るべきだと言うのですが、それを信じるのでしょうか?

アメリカなんて完璧でもなんでもない問題のたくさんある国なのですが、
現代で最重要な価値観である、民主主義という価値観を共有できない中国の方が、
アメリカより何倍も危険で信じてはいけない国だと感じるのですが、この考えは間違いでしょうか?


もし、先のスピーチを聞いた上で、本当にアメリカと手を切って、日本一国で平和を守れると思うならば、
それは戦前のような思い上がった意見であり、日本の運命は、思い上がった戦前のように凋落することでしょう。

『日本の、戦前の思い上がりは、日本一国で武力を通せると考えたこと。現在の思い上がりは、日本一国で平和を守れると考えていること』です。
この2つは、とても似ています。
あえて日本だけは普通の国じゃないままでいたい、そうするのが危険であっても、特別な平和国家でいたい、という主張が下のスピーチにも感じられます。あえて、なんですね。
日本人のプライドのかたちは、こういう破れかぶれな開き直りになりやすいんです。
そういう所も嫌いじゃないし、それも良い方に働けば長所なのですが、
危険な思い上がりが過ぎれば、また、国を滅ぼしてしまいます。戦前のように。

今の政権は、国会議員の4割である300人ほどが参加している「日本会議」という勉強会で、これまでの中国の謀略などを、証拠も揃えて学習しているようです。
だから首相には、迷いがないようなのですが、だんだん国内のマスコミに負けてきて、劣勢になってきていますね。

「日本会議」も、日本最大の右翼団体だと、中国がプロパガンダ(宣伝謀略)をうちはじめました。
日本でも、叩かれはじめるのでしょうね。
やはり、日本は戦前のように、妥協せずに思い上がりで滅びに向かってしまうのでしょうか?
…今回は、戦前とは逆で、一国平和へのプライドが原因になるかのもしれません。
あ、また中国の謀略にやられるわけです。戦前と同様に、中国のプロパガンダにやられるのか。
…やはり馬鹿にできない、恐ろしい歴史がある国ですね。
謀略こそ、孫子の兵法そのものですし。まいったな。

それとも、奇跡的にうまくいったりするのでしょうか?
正しいこと(平和)をしてるんだから、奇跡が起こるはずだという考え方も、まるで神風を望む戦前のようで、
僕にとっては、平和活動の方が思い上がった戦前のような独善的正義に見えてしまうんです。
戦前も正義が暴走して滅びに向かいました。
やはり生き延びるためには、ある程度は着地した妥協もいるのではないかと、僕は思いますが。
そんなの正義に舞い上がる日本人には、無理なのかもしれません。悲しいです。

今日は広島の原爆記念日なので、あえてこの話題をふらせて頂きました。
「あやまちは、くりかえしません。」
と、広島の原爆の碑にも、しっかりありますので、僕にはこの「正義に凝り固まったあやまち」を、もう許すことはできなかったので。
この問題を、原爆の被災者の方々は、どうお考えでしょうね。ゆっくり話がしてみたい気分になってしまいました。




いかがでしたでしょうか。
森のトトロのスピーチにも相当心を揺さぶられますよね。

栗木ンディ、ものすごく正直に言いますが、
もういろんな裏の思惑や謀略が複雑に入り組み過ぎていてうんざり…という気分です。

なぜなら、あっちで〇〇の裏話を聞いて「え?私は騙されていたの?」と落込み、
こっちで■■の話を聞いて「え?それも嘘だったの?」とがっかりし、
自分の頭の悪さと勘のにぶさを突きつけられるばかりだからなんですね…。

誰かの情報に頼っているばかりでは、なにも解決しないんだと思います。
かといって自ら情報を集めて判断する能力も、誰かを説得する能力もないし…
あれ…?なんか悲しい結論になってる?

それじゃあんまりなんで、栗木ンディ的に、今日のまとめ。
「自分に必要な情報は必ずやってくる。知らないならそれが今は必要ないから」
としておきます。


こんにちは栗木ンディです。
森のトトロから「ちょっと注意してね」のお知らせが来ました。

まずは、こちらのスピーチを見てみてください。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/251003

これは今年の6月に渋谷で行われたSEALsの集会で、ミキさんという女性がスピーチしたものです。
リンク先に動画も書き起しもあります。
重複しますが、こちらにもその全文をコピペしておきますので、どちらで見ていただいてもオッケーです。




こんにちは。ミキといいます。 よろしくお願いします。

いきなり戦争だなんて、大袈裟だとか、またか、とか思う人がいると思います。 でも私は怒り狂ってるわけでも、バカの一つ覚えみたいに 反戦を叫んでいるわけでもありません。 たしかに私は怒っているけれど、どうにかそれをぐっとこらえて、怒りをこういう形に変えて、話を聞いてほしくてここにきています。 少しだけ足を止めて話を聞いてください。

日本は今年、戦後70年を迎えました。
「戦争はいけない」そんな当たり前のことを訴えることが 当たり前になりすぎて、いつしか日本人にとって戦争は、どこか野蛮な国の人たちが行う、違う世界の出来事となっていったのかもしれません。 そして、戦争は悲しい、泣ける、物語になっていきました。

最近はよく志半ばで亡くなった人の、悲劇のストーリーが映画化されるけれど、あれは美談なんかではありません。 日本人がかつて行った侵略戦争で、人々は憎んで殺し、殺される論理のなかにいました。 それは、悲劇以外の何物でもありません。

だけど、今の生活と、その物語とが、あまりにかけ離れすぎて、まさか日本人が戦争なんてしないだろうと、いつの間にか私たちは思い込んでしまいます。 だけど、戦争は70年前だから起こったんでしょうか。

今の私たちだって、目の前に武装した兵士が現れたら怖いし、突然家族が殺されたら憎しみを抱きます。 ISILの人質殺害事件の時のように、自らの安全や利益のために、自己責任論といって他人を切り捨てろという世論も生まれます。

今、起こっている戦争は、決して「中東だから」「アフリカだから」という理由で起こっているわけではないんです。 それぞれの信じる正しさが違っているだけで、大切な人や自らが攻撃されたとき、恐怖を覚え、憎しみを持つ気持ちに、きっと変わりはないはずです。 そうして人々は武器を持ち、自衛のために戦ってきたのでしょう。

今の日本があるのは、別に日本人という種族が優秀だったわけではない。 私たちの持つ人を憎んだり、恨んだり、そういう負の感情を放っておくと簡単に争いが起こるから、何百年もかけて世界の人々は、暴力的な感情との付き合い方や折り合いのつけ方を、繰り返し反省し、話し合ってようやくいくつかの約束事として かたちにしてきたのではないでしょうか。

その積み重ねの最たるものの一つが、日本国憲法です。 そうやって戦争の恐ろしさを受け継ぎ、平和な世の中を積み重ねていった人々がいたおかげで今、ちょうど戦争をしない日本に 私たちは生まれてきました。 だから、歴史上の今の日本だけを切り取って、武器を持ちながら戦争に絶対参加しないなんて、そんな理性的でいられるなんて、簡単に確信を持てません。 一度戦地にいけば、いくらでも戦争のきっかけは生まれ、「やり返せ」と、私たちの感情に訴えてくるはずです。

私たちがすべきことは、その積み重ねを「時代が変わったから」と言って簡単に捨ててしまうことなんでしょうか。 捨てることは簡単かもしれないけれど、私は、先人たちの思考した歴史を蔑ろにしたくはありません。 むしろそれを生かして、犠牲のない世界を作れると信じたいのです。 馬鹿な理想主義者かもしれないけれど、その理想を掲げていたいと思うのです。

戦争に参加するなら、武器を作って売るのなら、人を殺すという自覚と覚悟が必要です。 私にはその責任はとても重く感じられます。 だけど今、そのことについて本当によく考えられているでしょうか。

日本だけが、イラク戦争について検証も反省もしていません。 それは物資の支援だけで、多くの民間人が犠牲になったことについて自分達には関係ないという、自覚のない参加をしたからじゃないでしょうか。

今、安倍政権は「後方支援」といって、また覚悟のないまま、戦争に参加しようとしています。 自分は本当に悪いところには手をつけていないと思って、その責任の重さに目を背けています。 まずは、過去から振り返って、その責任に向き合うべきでしょう。

テロリストたちは、どうしてテロリストになったのでしょうか。 彼らの多くは、報復を目的としています。 それは戦争が原因だったり、社会への不満があったりします。 日本はそんな社会作りに加担していなかったでしょうか。 協力したアメリカの政策に、落ち度はなかったでしょうか。 本当に向き合うべきなのは、テロリストを生み出した、今の世の中ではないでしょうか。

テロリストは残酷で、武力に頼っていて、彼らもまた悲劇をもたらします。 だから、私は彼らも許せません。 自分たちの正しさを押し通すために 武力を用いる彼らを、私は許せません。 だけど、だからこそ、何があってももう武器を持って戦争をしてはいけないはずなんです。

9.11以来、対テロ政策として武力行使が正当化されてきたけれど、なにがあっても、どの国の人も、アメリカ人兵士の犠牲さえも、許されるべきではないはずです。 なぜなら、戦争はまた憎しみを生み出し、武力の応酬は何の解決にもなりません。 これ以上の連鎖をとめるために、私たちは 自らその負のサイクルから降りるべきだったのです。

聞き慣れた言葉かもしれないけれど聞いてください。

戦争は人を傷つけます。 子供や未来も傷つけます。 戦争は町や人を破壊します。

70年間言われ続けた、戦争の恐ろしさを伝える言葉たちに、新鮮さを感じなくなって 蔑ろにするようになっていませんか。 どうか想像してみてください。 戦争の恐ろしさと、過去の過ちから目をそらし、武力行使を正当化する私たちと、戦争の恐ろしさを反芻して学びながら、過去を悔いて、武力行使を放棄する私たち。 それぞれの道の先には何が待っているのかを。

私たちはかつて後者にいたはずで、そしてこれからも、同じ選択をしていきたいのです。 私は長い長い紛争で、何が傷ついたのか、その一端をこの目で見て知っています。

3年前、生きるために親元を離れて治療をする、アフガニスタンの子供たちに出会い、数カ月を共に過ごしました。 アフガニスタンでは、長い紛争によりインフラが破壊され、国内では簡単な治療も受けられない状況にあります。 亡くなる子供も少なくなく、治療をしに来られる子はまだ幸運な方と言えます。 怪我や病気があっても彼らはとても元気で、尊重されるべき命で、決してかわいそうな存在ではありません。

手足がなくても、顔に火傷を負って差別されても、子供たちは助け合い、大抵のことは自分たちで出来るようになります。 けれど時間はそうはいきません。 もっと色々な経験ができたはずの時間が、治療やリハビリに費やされています。 そして、大切な成長期に親元にいられないことや、恐怖や憎悪の記憶は、彼らの心にしっかりと刻みつけられているのです。

怪我や病は確実に彼らの可能性を奪っています。 これが、これこそが、報復戦争の結果で、戦争の現実にほかなりません。

子供たちがあんな思いを今しているのは、「アフガニスタン人だから」ではなく、憎悪にかられた武力行使のせいでしょう。 それさえなければ、彼らがあんなに苦しむ必要はなかったでしょう。 私が出会った子どもたちの人生は、物語でもないし美談でもありません。 アフガニスタン人が傷つくことは普通じゃないし、そんなことはあってはならないんです。 彼らがこれ以上傷つくことを私は許せないし、日本人がそれに加担し、私自身がその責任を背負いながら、彼らにまたどう向き合っていけばいいのか分かりません。

だから、こういう現実を見たからこそ、なお、私は理想を掲げ続けたいのです。 戦争はなくせるという理想を掲げ続けたいのです。 その一歩を日本が、日本こそが踏み出せる、そう信じています。

きっと、1人目の日本人犠牲者が出たら、その憎悪が拡大していくのはあっという間でしょう。 国の政策も、国民の感情も、歯止めがきかなくなります。 今、もうすでに様々な犠牲の上に私自身生きているけれど、これ以上の犠牲の上に生きることを、ここでやめましょう。

この法案が通って、初めの自衛隊員が亡くなる前に、または、自衛隊員に人を殺させてしまう前に、こんなバカげた話し合いを終わりにしましょう。 私がこの法案に反対するのは、日本に普通の国になって欲しくないからです。

アフガニスタンには、大切な小さな友人たちがいます。 彼らやその家族を、日本人が、日本人の作った武器が、傷つけることに私は耐えられません。 この国の平和と国民の命を守るために、友人やそのまた友人が、戦地で傷つくことに私は耐えられません。

やられたらやり返す、やられる前にやる、そんな報復合戦に参加し、これから先も、誰かの犠牲の上に自らの平和が成り立っていくことに、私は耐えられません。

私たちの憲法は、今ある普通の国の、その先へ行くことができる、先進的で素晴らしいものだと信じています。 徹底して武力行使をしないことこそが、世界の平和と安全を、かたち作るものだと信じています。

今、実は反対しているのに、声を上げていない人が、私の周りにはたくさんいます。 そういう人たちに聞いてもらいたい。 犠牲者が出てからでは遅いんです。 福島の原発事故で、そのことを痛い程 私たちは突きつけられました。 法案が通って、人が亡くなった時、「だからそうだと思っていたんだ」と、「僕の、私の思っていた通りになった」と、優越感に浸るんですか。 反原発を長年訴えてきた先生は、原発事故以降、間に合わなかったと肩を落としていました。 そんなことを、また繰り返すんですか。

声を上げるなら今です。

SNSでいいね!が増えても、安倍さんに危機感を持たせることはできないでしょう。 彼は彼の人生における 大きな使命を今全うしようとしているのですから。

私たちも、それに見合うだけのエネルギーを注がなくてはいけません。 国会前に集まってください。 デモで一緒に歩いてください。 想像力の乏しい首相には、実態で反対の姿勢を見せなくては、私たちの意志は伝わりません。 忙しいのにわざわざ来るからこそ、意味があるのです。 疲れてるけれど、行かなくては、と思うそのエネルギーに驚くのです。

彼も私たちと同じ人間ならば、何万、何十万の人が集結したその事実に、向き合わずにはいられないでしょう。 私たちが反対の意思表示にかけたそのエネルギーを目の当たりにして、無視してはいられないでしょう。

憎悪の連鎖を、私たち自身が止めましょう。 過ちは繰り返さないと、70年前の犠牲者に私たちは誓ったはずです。

私たちなら止められる。 私たちが止めるんです。 2015年6月27日、私は戦争法案に反対します




確かに説得力もあるし、心を揺さぶられますよね。
ただ、このスピーチには、中国に関する情報がスッポリ抜け落ちていることに気付いて欲しい、
と森のトトロが教えてくれました。

ちょっと長くなりましたので、次の記事で、その詳しい内容を読んでくださいね。
栗木ンディは、どうやら気持ちの上でブロックがあって、一度に読めませんでした。
今読みたくないなぁーと思ったら、少し時間をおいてから読んでみるとスルッと読めたりします。


こんにちは、栗木ンディです。
最近コンビニでドリンク類を買うことがほとんどなくなっています。
なぜならおいしくないから(笑)
ですが、つい先日、なんとなくココナッツウォーターが飲みたいなと思って買ってみました。
自分的にはとても珍しいセレクトだったのですが、結構おいしく感じて、味覚が変わったのかな、なんて思っていたところ、森のトトロからタイムリーなお知らせが来て、びっくりしつつも「やっぱりそうか…」という気分です。
最近体調がなんだか優れない…という人に、何かヒントになるかもしれませんので、お知らせしておきます。



最近、さまざまな症状が出ている人が増えてきているようです。
そこで、まずは今現在、おきていることを説明していきます。

今年は、「大気汚染による冷え」が何回もありながら、急に暑くなり、一気に夏日となりました。
そのため、体内では、下記の「四つの現象」がおこっています。

<その1>
季節的には、本来はゆっくり関節や手足の筋膜が温まり、すきまが開いてくるはずなのですが、今年は急激な体感温度の上昇で、手足の筋膜が冷えたままで、大変狭いまま、急に夏になりました。
そのため、春から浮いてきた毒素によるむくみで、全身がパンパンになり、夏バテ症状や内臓の圧迫により、急激なミネラル不足となっています。食欲も無くなってしまいます。

<その2>
夏になると体内に溜まっていた毒素が浮いてくるため、毒素への身体の反応で、カリウムが不足して全身(主に筋肉)がつっぱり、だるくなります。

<その3>
カリウムとカルシウムはイオン拮抗しており、どちらかを摂るとどちらかは吸収しづらくなってしまいます。
大気汚染により、カルシウムと似た物質が飛んでいるので、それを吸収してしまうことが多いため、カリウムが足りないのに、吸収しづらくなっていて、カリウムを多く含んだ食べ物を美味しく感じません。
すると、どんどん大気汚染物質を取り込んでしまい、血液がどんどん汚れていき、体が重くなり、汚染による貧血症状が出てきます。
さらに、カリウム不足も改善しないため、筋肉のつっぱりやだるさもそのままになります。

<その4>
ネパールをはじめ、大地震が各地で起こっているため、地震前後の地磁気が非常に多くなっています。これも血液中のイオンの分子のクラスター整列を乱すため、血液中のミネラルが酸化しやすくなり、血流を悪くして濁らせて、だるさや貧血症状が出てきます。


上記の
「四つの現象」の結果、肝臓のうっ血もおこり、全身が苦しいのに、食べ物が吸収しづらくなっているため、なかなか症状が改善しないときいています。


対策をいくつか考えてみましたので、自分の状況を見て試してみてください。

<その1>に対しては、甘いものやクリームで筋肉をやわらげ、すきま材を補給します。海苔もいいです。食欲があるならインドカレーもいいでしょう。
ネットなどで市販の超ミネラル系の、複合ミネラル剤(島西神水など)をとると、美味しく感じる人もいるかもしれません。
食べ物で補給するならナッツ類がミネラル豊富でいいですね。アーモンドやピスタチオ、カシューナッツや黒糖くるみなどもいいですね。

<その2>に対しては、コンビニで売っている「ココナッツウォーター」がおススメです。美味しく感じない人は次の対策を試してみてください。

<その3>の人は、カルシウム不足かもしれないので、ヨーグルトをたくさん食べてから、もう一度「ココナッツウォーター」を試してみて下さい。

<その3>と<その4>の人は、血液を掃除してくれる「酢」と「こしょう」を拮抗させた「ニラ玉スープ」などで、血を掃除しながら血管を治していきましょう。
「酢」と「こしょう」は拮抗しているため、どちらかが多い時は、もう一方を増やせば味が落ち着きます。
つまり、「酢」が多い時は「こしょう」を増やし、「こしょう」が多い時は「酢」を増やせば、酸っぱ過ぎず、辛過ぎない味になります。
このスープが、美味しくないなら、先に<その1〜3>の対策をしてみて下さい。


何もかもダメという状態の人もいるかもしれません。
そんな場合には、カリウムとカルシウムとさらに、体の中心にきくリコピンが同時にとれるシフトとして、
「ブルガリアヨーグルト(加糖タイプ)+トマトジュース」を、たくさんとってみて下さい。
具合の悪い友人がおすすめしてくれたものなのですが、確かに、理にかなっている方法です。
これが必要な人も、けっこういました。

あとは、新月/満月のくる2週間ごとに、夏に向かって、身体のすきまはどんどん拡がっていきますので、必要なところまで、主に手足が温まれば、だんだん楽になってきます。
ミネラル不足のまま、真夏になると、抵抗力も下がって辛くなるので、その場合は「島西神水」などのミネラル剤を、ポカリスエットやグリーンダカラなどに入れて、飲んでおいたほうがいいと思います。

とりあえずの応急対策ですが、少しでも皆さんが楽になるようこれからも研究を重ねていきますね。


こんにちは、栗木ンディです。
先日ちょっと火傷をしまして、それ自体はたいしたことはなかったのですが、
その数日後に、まったく同じ場所を火傷、また切り傷を負った人に出会いました。
こういう偶然は、やっぱり必然のニオイがしますよね。

でも、その必然の意味がよくわからないーー!
教えて森のトトロー!!
というわけで、トトロが教えてくれたお話をご紹介しますね。




昔風の、ゲンが良いか悪いかという解釈では、以下のようなことも、よく言われます。
ケガが表しているとされるものの中には、見えない力からのツッコミが結構ある、という解釈です。

こんな感じです。

左手や腕のケガは「意識の力で守りすぎ」
右手や腕のケガは「意識の力で攻めすぎ」

という意味があり、それらに対する気付きをうながす、知らせやサインだと言われています。
古い言い伝えや、因果応報を教える時に「俗に言う」感じで言われていたようです。

ケガの位置(深さ)により、ざっとこうも言います。

指は 「表面上の態度」
手首は「意識的」
肘は 「無意識」
肩は 「意識以前の姿勢や習慣」

すると、このような解釈ができます。
両手首を骨折している僕は、意識的な「守りすぎ」も「攻めすぎ」もあると言えます。
左肘と右手人差し指を骨折しているある弟子は、無意識での「守りすぎ」であり、人差し指は表層での「攻めすぎ」つまり責めすぎである「他者を指で指しすぎ」などでしょうか?


これらの言い伝えは、トトロの森で研究してきた
「右半身、左半身のストレス」
とも一致します。

右半身は「抑えるストレス」 「言いたいことを我慢する」などで、
左半身は「気合いで盛り上げるストレス」「疲れていても元気に話す」「他人を元気づける」などや、または数字やノルマのストレスが考えられます。

さらに掘り下げて調べたところ、
右半身はつまり「疑問なのにそのままにして抑える」ストレスであり、
左半身はつまり「自分や他人の気分を無理に上げる」ストレスでした。

そして根本は、
右半身は「過去のための苦しみのストレス」
左半身は「未来のための苦しみのストレス」
ということが言えます。

抑え込むのは、過去の出来事への解釈であり、
無理に元気をだしたり、無理なノルマや数字に挑戦するのは、未来の出来事のため、つまり出世や成績のための態度だからです。

上記のケガの言い伝えでは、
右は「責めすぎ」
左は「守りすぎ」
でしたが、
右で責めてしまうのは過去の出来事であり、
左で守るのは出世や成績や立場なので、
解釈は近いといえます。

さて、あらためて今、トトロの森風にまとめるならば、

右側の緊張やケガは
「なぜ?どうして?許せない過去を、理解して受け入れたい。」という気持ちの表れであり、

左側の緊張やケガは
「元気出して、気合い出して、ノルマ頑張ろう未来のために。」という気持ちの表れです。

そして、どちらも「いわかんなく」やれるようになれば、
身体の緊張や見えない力からのツッコミ(ケガ)もなくなるということです。

過去に対しても、未来に対しても、何かを「やめる」のではなく、
「いわかんなく」上手にやればいいというのが結論でした。

何事も、職人芸になるまで、「しっくり、なっとく、いいかんじ」になるまでやれば、
「いわかんなく」なるということです。

ひとりひとり、同じ状況はないので、
ルールや理論は、他人に説明して安心感を与えるための補助にしかならず、
「しっくり、なっとく、いいかんじ」になるまでやって、
「いわかんなく」なるとよい。くらいの、「体感のめやす」しかないというのが、トトロ式の解釈になりました。

今回は、身体の部位の質問だったので、とりあえず1つの解釈を、深く説明しました。

似たような問題の人が近づくと、無意識での学習効果があがるというので、似た問題をもつ者どおしの交流だったのでは?

この説明だけに、囚われることもなく、そして、何かの、ヒントになったならば、幸いです。




正直に言えば、なんかわかったようなわからないような気分の栗木ンディですが、
きっと誰かの役に立つと思うのでご紹介しました!
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